愚直な犬

2003年6月18日


6/14放送めちゃイケでびびるの大木の飼っている犬がマネーの犬というコーナーに出演(?)していた。

透明なガラスの向こうに餌をセットして、ガラスを迂回して餌に辿り着けるかというゲームをやらされていたのだが、その犬は、何度も何度も激しくガラスに体当たりしていた。
一度も回り込もうとはせず、結局餌を手に入れることはできなかった。

その姿を見て、めちゃイケレギュラー陣は大笑いをし、馬鹿犬とハヤシ立てていた。

確かに馬鹿犬かもしれないが、俺の目にはとてもかっこ良く映った。

俺もそんなに器用に生きれる人間ではない。壁にぶつかった時、その壁を迂回して目的を達成できる程頭もよくない。そんな時、俺ができるのは何度もぶつかってその壁を壊すしかない。
血まみれになればいい。
痛みを伴わない成長なんてないんだから。


今、日本が直面している壁を克服するには、政治家やエコノミストが唱えるような痛みを最低限に抑えた迂回策を必死で探すのではなく、その犬のように何度も体当たりする勇気が必要なんじゃないかな?

愚直でいい、前を向いていれさえすれば。



ある日曜日。
すっかり日も暮れる頃。
昼間からチューハイを飲み、ほろよい加減で
飲酒運転(自転車)をしていた。

交差点で信号待ちをしながら、
左折していく車を眺めていた。
そして、何の気なしにナンバーを見つめていた。

多摩ナンバー、横浜ナンバー。
(これから帰るのか、大変やな〜)

練馬ナンバー。
(もうちょっとで家や、頑張れ。)

○馬ナンバー。
(ん、練馬か?)
練やなくて群
(練馬やなくて群馬かよっ!)
(遠っ!!同じ馬でもえらい違いやな)


練馬やなくて群馬ってことに衝撃を受け、
久しぶりにサマーズ三村並のツッコミを決めた
酔っ払いの他愛もない話でした。


ヒキガエルの話

2003年6月16日


ヒキガエルの好物は、ハエやクモやミミズである。何日も食物を与えずにいるヒキガエルの前にミミズを置くと当然それに飛びつき貪るように食べる。その後、今度はヒキガエルの前に細長いもの、例えばマッチ棒を置くと、なんとそれにも飛びつくという。
つまり、ヒキガエルにとって、絶食後、最初にミミズが与えられると、それに味をしめ、次に獲物として探すべき形はミミズだ、となり、ミミズによく似た形のマッチ棒にさえ飛びついてしまうということなのである。
専門的に言うと「探索像が現実に知覚している像を歪める」
自分の肉眼で見えている目の前のことよりも、求めているイメージの方が勝ってしまう。このことは、現実のあらゆるところでまちがいを引き起こしているかも知れない。

小泉フィーバーにしかり、UNIQLOにしかりブームなんてそんなもんなんちゃうかな?
また、ブランドなんかもその類でしょう。

動物から学ぶ所は多い。

ブームに踊らされぬよう、心にヒキガエルとミミズとマッチ棒を!!


カニの話

2003年6月13日


カニをバケツに入れておくと、蓋をしなくても逃げないといわれている。一匹が他のカニを踏み台にしてよじ登ろうとすると、他のカニに引きづりおろされるからだ。

現代も少なくないかなりの数で足の引っ張り合いが行なわれている。核の保有合戦・国会(政治の世界)なんてその典型だ。

バケツの中のカニを笑ってる場合じゃないよ。



モザイク

2003年6月12日


タバコと手淫を欠かさないナインティナインの岡村みたいな生活を送っている私だが、アダルトビデオをみながらあることに気付いた。

それは、モザイク。モザイクの話をします。

アダルトビデオにおいてモザイクというと秘部を隠すのが一般的だが、企画物を嗜好する私の場合、モザイクは出演者の顔を隠すのに用いられることもある。

モザイクによって隠された顔は
なぜか俺の戦闘意欲を減退させる。
つまり、萎える。

イメージがしにくくなるから、
ブスか美人が分からないから、
要は外面的・表面的な美がぼやける不安からくるものだということはなんとなく分かっていた。

だが、今日の俺は冴えている。
長年の疑問の真理にそこからさらに一歩迫った。


なぜモザイクが俺の戦闘意欲を減退させるのか?

それは、目が見えないからだ。

人に疑われた時、
「俺の目を見てくれ」
というセリフがドラマなんかでよく使われるが、
目というものが訴えかけるものが意外と大きい。
目に訴求力があるのだ。

それは、目が輝いているという表現があるように目は人間の内面を映し出す鏡であるからだ。だから、目が隠されるとその人の感情等の内面から溢れてくるものまで隠されてしまうのだ。

人間の内面が大きく影響する性行為においてはその影響は計り知れない。SEXしていても、思いがけない一言で冷めてしまうように。


顔にモザイクがかかっていると萎える理由、
その答えは目にある。

そのことが分かった俺は
モザイクのないビデオで思う存分
手淫に励みました。
最後に、まじめに結論づけると
人に語りかける時、目も意識すると
さらに訴求力のある話ができるということを
アダルトビデオを通じて発見しましたというおはなしでした。




くしくも2002年W杯からちょうど一年たった今
このビデオを借りた。

W杯合宿開始からW杯が終了するまでの日本代表の軌跡を岩井俊二がデジカメでおさめたもの。日本代表選手達の練習風景だとかミィーテングだとか普通に騒いでいるところを脚色なくそのまま映像にした貴重な記録である。


中田英寿
中田英の試合前のコンセントレーションには鬼神が宿ったかのような凄みを感じた。周りが騒いでいるのに一人ウォークマンを聞きながら読書。研ぎ澄まされた殺気がブラウン管越しでもビンビン伝わってきた。ハーフタイムには選手達に的確な軌道修正の指示。選手達もある意味トルシエより尊敬・信頼の念を抱いているかのように見える。
中田英は別格。
それに、監督のことをトルシエではなく、フィリップと呼ぶのは中田英だけだった。

フィリップ・トルシエ
試合の前に”戦い”という言葉を多用して選手を鼓舞しているのが印象的だった。プロフェッショナリズムというのでしょうか。意外と選手達に溶け込んでいるには驚いたが、一対一になると、誰も監督と目を合わせようとしないし、中山においては、”あいつ”呼ばわりする一面も。


日本代表に欠かせない二人についての感想だけまず載せたが、どの選手も”いい顔”してた。(小笠原、川口を除く)顔が引き締まっているというか、凛々しいというか、堂々としている。
惚れるよ、あんな顔されたら。
あんな顔できる奴ばかりだから日本のサッカー史を変えることができたんだろう。

にしても、
他人事であれほどまで
パワーをもらい、
感動し、
夢中になれたことなんてそうそうない。
しかも、それが俺個人の規模ではなく、日本という国家レベルで。

俺も六月の勝利の歌は絶対に忘れない。

チョイス

2003年6月10日


俺は辞めることを辞めました。
つまり、転職しません。
自分の能動的な意志で。

今まで集めた転職の資料は全て破棄し、
面接に合格した会社も断った。

定年までサラリーマンやっても経験できないようなことを経験し、入社当初の目標は全て達成した。もういつ辞めてええと思ってた。

しかし、
ある人に会社のいい所挙げてごらん
と言われ、絶句した。
何も挙げれなかった。

ということは、逃げでしかない。
嫌なことばかりしかないところから遠ざかるのは
逃げに他ならない。


これからはいい所を見ようと努力し、
やれることは精一杯やる。

たまに滅入ることもあるかもしれないが、
暗闇の中でもがくのではなく
光の差す空間の中で暴れる。

この日記も変えていきます。
できるだけ馬鹿な方へ、
できるだけ前を向いた、
できるだけ夢のある、
そんな日記へ。


最後の怒り

2003年6月9日


電車の中で優先席のステッカーを見るたびにこう思う。

「ふざけんじゃねー!」


企業というものは弱者・強者に関わらず、金を持っている者に貪りつく。金にはとてもシビアだ。容赦なくコスト削減やらで人をリストラしたり、金を持っていない人にはにべもない態度をとるのにお年寄りには席をどーぞだとっ!

金はビジネスの目的でもあるが、
人の生命を握っているものでもあるんやで。

一方では人の命を握りつぶすような行為を行なっているのに。ビジネスと名のつく所では優先席で寝転ぶ以上の痛みを他人に与えているのに。電車の中では席どーぞだとっ!!

ふざけんじゃねーよ。
詭弁、偽りの優しさ、偽善。

そのステッカーを見ると、その言葉が俺の頭の中を蠢く。


2003年6月5日

たまたま電車で乗り合わせた頭のはげたおっさんサラリーマン二人組が「一生懸命やったもんが損をするような社会になってんだよ」と声高に話していた。俺の聞いただけも3回は繰り返していた。

あんたら一生懸命何かに取り組んだのか?

一生懸命やってるやつを馬鹿にするな!
一生懸命やってるやつの足を引っ張るな!

あんたら時代の流れに身を任せて漂っているだけの枯れ葉だよ。

鮭のように信念・本能に従って生きようがために流れに逆らうほうがかっこいいよ。

おっさん方へ忠告とお願い
自分の子供を甘やかすな!
夢をもった若者に拍手を!
そして、あんたらも夢を追いかけてくれ!



随分前のことだが、高所得者の税率と法人税が引き下げられました。そのツケは医療費値上げ、消費税値上げと弱者にどんどん回ってくる。

強者は強者であらんが為に、手を変え品を変え弱者をいたぶる。

税金が高いとか言って海外に逃亡しちまう企業や金持ちなんてどーせ大した奴じゃないからほっておけ!

トヨタやソニーが海外に移転したか?
海外に市民権を移転した大橋巨泉・小室哲也なんてもはや過去の遺物に過ぎない。
ほっとけ、ほっとけそんなやつ。

ダウンタウンの浜ちゃんがある番組で税金が高すぎるねんと言っていた時はがっかりした。好きだったのに。

税金が高くなったからといってあなたの年収なら好きなもの何でも手に入るでしょ?貧乏の頃の浜ちゃんなら絶対何も言わなかったはずだ。やはり人は自分の置かれている環境でモノを考える。


もし俺が政治家になったら
1.累進課税制度・法人税を90年代の水準に戻す
2.相続税100%
3.タクシー代の値上げ(初乗り1500円)

にする。

世の中は決して強者だけで回っている訳じゃない。
利権で凝り固まったジジイ共をガツンと喝をいれてやる。

(タクシーの理由はタクシーなんてほとんどの奴が会社の金で乗ってるんだから安くする必要なんてない。)


グローバル化が進むと世界は均一化し、同じような光景が世界各地で見られることになる。そう、駅前にマック、スタバ、コンビニという私たちが見慣れた光景である。

一方でこのような均一化を進め、
その一方では異質性を求めて
多くの人が数日間の旅行に出かける。

そこで目にするのは均一化のオブラートに包まれた
異質性である。


仕事では均一化に励み、
プライベートでは異質性を求める。

自分で自分の首をしめて自殺するようなもんで中途半端に生き残ってしまう。心と身体が相反する方向に向かっている。
こんなんじゃ、前に進めへんて!!
少なくともバブルの頃までは日本は身も心も”豊かになる”で統一されていたから一致団結したパワーが生まれていたんやろし。


なんか釈然としないんだよな。
このような社会スタイルを奨める政府が何を考えているのか理解できないし。たぶんとにかく金儲けしたいんだろな。それに一般人の感覚がないんだろうな。経済はすべての基盤であるとかいっちゃってるくらいだから。


変えてみてーな、この世の中を。
気分は高杉晋作。
「オモシロキコトモナキ世ヲオモシロク」


こんな世の中じゃ全然ダメ!!
社会人になってからそんなことばかり考えている。

富める者は既得権利を手放ないシステムを作り上げ、貧する者はとことん貧しくなる社会が出来上がろうとしている。


ビジネスの目的は人類の発展の為じゃなかってっけ?


本末転倒じゃん?市場に、数字に翻弄される馬鹿な経営者共!管理職!!


目の前のことしか見えていない。
このまま進んでいけば、いつか市場は壊滅するよ。
デフレでもう崩壊寸前だけど。

君らのやっていることはワンアウト三塁でバッターがボテボテのセカンドゴロを打った場面で三塁ランナーがホームに向かって走っているのに迷わず一塁に投げるのと同じこと。

目先のワンアウトしか見えていない。

全体を把握していれば、一点を死守すべく本塁へ送球するだろう。

目先のワンアウトより一点を死守しようよ。

「オモシロキコトナキ世ヲオモシロク」

こんなだめだめなら
俺が変えるしかない。
変わるの待ってちゃ手遅れだ。

俺は新たな目標と使命を発見した。
それは「オモシロキコトナキ世ヲオモシロク」





1.今の会社を続ける
2.今の会社を辞めて、今すぐ海外へ飛び出す
3.転職する

ど・れ・に・し・よ・う・か・な?

どれを選択しても意義はある。
2.3は行動を伴うから意思が必須だ。
ただ、何もしないと必然的に1になる。
今、俺は三つの決定権を持っている。
1を選択するにしても自分の決断の下に選択したい。

お客さんの評価より上司の評価を気にしましょう!

野球の話

2003年5月28日

マウンドからキャッチャーミットまでの約18m(だったっけ?)ボールを投げる面白さ・楽しさを覚えました。

大学の頃はストライクも入らないし、肩も痛くなるし、ピッチャーなんてやりたいとも思わなかったが、

これが楽しい。


3回を投げ、被安打1、三振2、無失点、無四球の完璧な出来。草野球だけどね。

初めて”もっと投げて〜”と思った。
野球が5アウトくらいだったらいいのにと。

ボールに自分の想いが乗かった球を初めて投げられたからかもしれない。肩が温まるという感触を初めて体感したからもしれない。

今までは肩が温まる頃には肩が悲鳴をあげていたし、自分の思い通りにボールがいかなかったが、
「ナンダ」というウッチャンナンチャンの南原がやってる番組で元ロッテの小宮山が南原のピッチングにアドバイスしているのをそのまま俺もやってみただけで劇的に変わった。

意識したのたった三点。
?ボールを深く握る
?ボールをよりホームベースに近い位置で離すこと
?ひじを肩より高い位置に保つ


キャッチャーミットに手が届くような感じ。
キャッチャーの構えた場所にボールが行く。
思い切り投げても身体のどの部位も悲鳴を上げず、
全エネルギーを全てボールに乗っけれている感じ。

気持ちいい。
ストレートをストレートに投げれる
これだけで気持ちいい。
早く投げたくてウズウズする。

より一層野球を好きなりました。

今ならイチロー相手でもびびらない。

携帯電話について橋本治が著書「さらにあーでもなく、こうでもなく」において興味深いこと言っていたので以下に記します。

基本的に全く同感です。考える始点は同じなんだけど終点が俺より遥か先まで伸びている、そんな感じです。


以下がその文章。


「IT革命」の号令下で、携帯電話は千変万化の変貌を実現させているが、しかし、なんだってそんなにも携帯電話を持ち歩かなければならないのか?
携帯電話を持ち歩いているということは、いつでも、どこかから情報が入って来ることを期待してのことである。いつでも、自分のいる現実を抜け出して、別のものとコンタクトを取り得る可能性を持続させているということである。誰もそんなことはいわないが、そんなに自分が現在存在している場所に適合することが嫌いなんだろうか?

誰かと話している。そこに携帯電話が鳴る。「そこで話を中断されたら、話し相手に対して失礼だ」という発想はないのだろうか?

道を歩いている時は、道を歩いていることに集中していたい。しかし、そこで携帯電話の電源をONにしておくということは、「どっかから電話がかかってこないかなー」とおもって道を歩くことである。

携帯電話は、自分が現在存在している現実に対しての適応力を、半分以下に削ぐものである。
これは、「社会生活に適応しなくていい」と言っているようなものである。「現在自分が直面している現実はあまり大事ではない」という認識があればこそ、携帯電話はONになる。これは、実の所、社会生活不適応者になることを容認する道具なのである。
こういうものを「IT革命促進のために」として、国家が持ち上げちゃっていいんだろうか?
「世の中を、それほど軽いものにしちゃっていいの?」というのが、私の携帯電話に対して持つ、最大の疑問である。

「便利」はいいが、その「便利」は、肝心の社会生活の意味を無にしてしまうようなものでもあるはずなのだが---

今を楽しむ方法

2003年5月26日

ヤンキースの松井選手は今という瞬間に100%の力を出す為に8時間睡眠を欠かさないという。

一方、俺の友達は今という瞬間を全力で楽しむ為、
寝る間を惜しんで遊びまくっている。当然のごとく、翌日はいつも眠そうだが。

どちらのイマが輝いているのだろう?
俺はどちらかというと松井タイプ。
イマという瞬間を楽しむ方法を打算的に計算する。

しかし、もし明日人類が滅ぶとしたら
イマの楽しみ方は俺の友達の方が適している。
何時間寝ようが次の日には人類が滅びるのだから、先のことを考えないイマの楽しみ方
の方を選択するのは当然だろうから。

イマの楽しみ方は人それぞれということは分かっている。でも、その友人の生き方を羨ましく感じることがある。

そんなことを考えてしまうのはきっとイマを楽しめていないから。さあ、イマまでの自分にサヨナラをしよう。


遅ばせながら5/13横浜BAYHALLで開催されたバンプオブチキンのライブ報告を致します。

会社よりライブを優先し、休みとって行って参りました。

去年9月の沖縄ライブ以来だから約8ヶ月ぶりのバンプライブ。あの高揚と興奮を手に入れるべく横浜の地を訪れた。

だが、そこにはかつて存在した高揚と興奮はなかった。

バンプの問題ではなくて俺自身の問題のせい。

オープニングの「SAILLING DAYS」演奏時に観客が将棋倒しになり(怪我人数名)それの救出作業に当たったせいもあるかもしれないけど。

観客について一言言わせてもらいたいが、おまえら最悪だよ。いつもラッシュ時の田園都市線以上の高密度だが、将棋倒しになるほど他人を押しのけてバンプに近づこうというエゴイズム丸出しの行為に幻滅。藤原も言っていたけど、そんなことしなくても聞こえるから。
届けてくれるから。
だから、みんなライブに来る位好きになったんでしょ?
大切な何かを遠くにいても伝えてくれるバンドだって知ってるでしょ?
俺もバンプを好きな人は好きでいたい。
だから、バンプのライブに来れて嬉しいのは分かるけど、もちっと、他人に手を差し伸べるくらいのことはできる心の容量を持っていようよ。
一言で言うなら寛容な心を持ってくれと。
このライブで怪我をした人はあんまいい思い出にならないし、どうせならみんながまた来たいと思うライブにしようよ。そうできるのはバンプではなく、俺ら観客の力だしさ。


前置きが長くなったけど、高揚と興奮の喪失の理由は、バンプが見せてくれる世界が自分の背丈からでも見えるようになったから。
バンプのことをすげーと思うのではなく、分かるよと言えるようになったから。

こんなことを言うと自意識過剰とか何様?と思われるかもしれないがそうなんだから、仕方ない。

今まではバンプのライブに行くとそれまで見えなかった世界が広がったり、自分の意識の中を深く潜ることができた。その方法もしくはキッカケを藤原の声が、升のドラムの音が、直井のベースの音が、増川のギターの音が作ってくれたから。

確かに「ノーヒットノーラン」や「ロストマン」を耳にして身体が震えたことは否めないが、それは過去の俺の部分が震えていて、イマの俺はもっともっと大きな刺激を欲している。

だが、そうなったからといって嬉しいわけじゃない。
まるでインポになった気分。
人生の一つの楽しみを失ったような。

もしかしたらまたすげーと思う時も来るかもしれないが、分かるよと言い続けているかもしれない。背伸びしたり、台座に乗らなきゃみれない時もくるかもしれない。

だから、聞き続ける。

ただ今までと付き合い方が変わっただけ。
ちょうど恋愛と結婚が違うように。
好きだけど、向き合い方が違うって意味で。

イママデアリガトウ


「この資料154万円だよ」

とあるお客さんに言われた。
この紙切れ五枚が154万、つまり一枚約30万。
この紙切れ一枚作れれば、一ヶ月働かんくてええのか?
常識的に考えてこんなもん30万で買うか?
それは宝の地図ではなく、ただシステムの構成案が表記されているだけもの。面白くもなんともない。


がっかりした。


その資料の作成元はあるコンサル会社なのだが、
俺がその前日に徹夜して作成した資料は
値もつかないような資料なんか?


俺はコンサル会社というものが大嫌いだ。
就職活動のときはさんざんお世話になったけど。
あいつらは口だけでなにもしねー。
机上論だけで物事を進めていく。
それが嫌で俺はコンサル会社は辞退してメーカーの道を選んだ。


じゃあ、最低限一度でええからあなたが提案するを機器を実際にあなたの手で運んで下さい。
触ったことも見たこともないのに
偉そうなことは言わないで下さい。
世の中を動かしているのはあなたじゃない。
時給800円とかで働いている人たちだ。


現代は、肉体労働者より知的労働者の方が価値がある時代だという。経済学者・経営者は皆口を揃えてそう言う。

工場勤務者・アルバイト・パートタイマーよりコンサルタントの方が重んじられる社会。
汗水流して働いている人間より薀蓄喋れる人間を重宝する時代。

おかしくねー?

俺もいわゆるホワイトワーカーと言われる仕事をしているが、ちっとも偉いとは思わない。それより、汗水たらして商品を運んでくれる運送業者の方がよっぽど偉いと思う。

いくら頭がよくて、仕事ができると言われるホワイトワーカーがいても結局、汗水たらして働く人々の下支えがなければ彼は何もできないに等しい。

コンサルだとかいって、会社に戦略などを売っても
それを実行する人間がいなければ戦略なんてトイレットペーパー以下のもんだ。
糞の役にもたたねー。

ホワイトワーカーがよく陥る過ちだ。
俺が仕事仕切っているという過信。
あなたがいなくても仕事は進むし、支障はない。
皆勘違いしてる。
知的労働者だから偉いと。
肉体労働者は知的労働者に劣ると。

やるせない。

154万円の提案書を見ながらそんなことを思いました。



あなたの携帯はGPS機能付きですか?

仕事シリーズ第三弾。

俺が今やっている仕事でGPSケータイで営業社員を管理するシステム導入の商談がある。

より効率的に顧客訪問するため。
緊急のトラブルに対処するため。
営業マンの位置情報を常に把握する為のシステムだ。


おいおい、俺らは会社の駒じゃねーぞ!
んなもんで俺らを管理しようとするんじゃねーよ。

俺らはドラクエのキャラのようにコントーラー一つで操ることなんてできないぜ。


傲慢だよ。


システムは人間を管理する為の道具である。
ますます自分の仕事が嫌になる。

ケータイ電話なんて捨てて、町をブラブラしようや!!

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