ドラえもん
2003年7月18日子供の頃は、
ドラえもんがタイムマシーンに乗って帰る
21世紀の未来に憧れていた。
サッポロ生搾りのCMにでてくるような家に住み、
機械に命令すれば、何でもやってくれる。
家の外は未来都市。
そんな高度にハイテク化され、極度に無機質な
いわゆる人間臭さの漂わない空間に憧れていた。
しかし、今思うと
随分つまらない世界だな〜と思う。
今では全くそのような世界を望んでいない。
木造の家の畳・押し入れのある部屋に住み、
土管のある公園で遊ぶ
という妙に現実的な空間に
ドラえもんという未来の象徴がいたから、
親近感が湧いたのだとおもう。
そのギャップが楽しかった。
人間臭くて。
もし、無臭な未来都市時代が到来したら、
俺は阪神の伊良部に頼んで、ネズミをドラえもんに向かって150球くらい投げさせる。
これでいいのか〜!!!
2003年7月17日これは「悪い奴ほどよく眠る」という黒澤映画の最も印象的だったセリフです。
悪い奴に向けた叫びだけでなく、悪い奴を容認する社会に向けた義憤の叫びでもあるはず。
この一言が言いたいがために2時間半にも及ぶ映画を黒澤監督は作ったのではなかろうか?
俺的にはアリアリです。
本物の映画です。
白黒は嫌とか邦画はつまらんとか言わず、ぜひ観てください。
財務諸表
2003年7月16日会社の教育の一環として、
アカウンティング研修というものに行ってきた。
その中で、ソニーと松下の財務諸表を解析する場が与えられた。
皆は一生懸命B/SだとかP/Lだとかキャッシュフローだとかから経営状況を分析し、比較したのだが、
俺はある二つの数字に釘付けになっていた。
それは売上高と純利益という数値。
ソニーと松下共に7兆円もの売上高を誇る企業であるがその純利益はソニーが数億円(売上に占める割合は0.何%)、松下に至っては赤字なのである。
これは、単に資金を社会の中でクルクル回しているだけでないの?
7兆円もの資金をクルクル回しているのだからその労力はとてつもないものであることは想像に難くない。
単に無駄骨という気はないが、
なんか違和感を覚えてしまった。
小学生の頃によくやっていたドッジボールに似ている。
自分が投げたボールを相手が受ける。
そして相手が投げ返す。
そのボールが資金に変わっただけじゃないかって。
今、多くの人・企業がお金で苦しんでいる。
お金が人間性になりつつある。
なら、お金を稼いだ分だけ、お金を使うならお金なんて必要ないじゃないかなってふっと思った。
それはとても稚拙で、横着で、無茶苦茶な考え方ってことは十分分かっている。そんな考え方受け入れられるわけがないことも分かっている。
だが、売上高と純利益という二つの数値を見た時からその考えが頭から離れなくなった。
人が人を信頼さえできれば、できないことではない気がする。
今は人よりお金の方が信頼されている。
だから、できないだけじゃないか?
売上高と純利益という二つの数値とお金が本質的にもっている要素って人間にとって非常に悲しい本質じゃないかな?
机の上に置かれた財務諸表をみて、俺はしばらく動けなかった。
無戒秀徳
2003年7月15日「向井秀徳(元NUMBERGIRL)+PANIC SMILE」の別プロジェクト「無戒秀徳」のライブに行ってきた。
これもNUMBERGIRLとは全然違った。
前回のは観客の横揺れに驚かされたが、
今回は観客が全く動かない音楽。
毎度毎度のことながら驚かされます。
具体的にはギター一本で登場し、
長淵剛のような歌声を発する。しぶい。
野武士を髣髴とさせるスタイル。
しかし、曲の中身は”変態教師の肉体教育”だとか、”性的少女”、”座敷で犯した2万5千発の過ち”とか。
そのギャップがたまらなく楽しい。
”変態教師の肉体教育”のフレーズを長淵剛の”乾杯”並にしっとりと聞かせる。
しかもハモッてるし。
”へんたぁ〜い きょぉ〜しの〜 にくたぁ〜い きょぉ〜いく”
向井秀徳(元NUMBERGIRL)+PANIC SMILEのライブに行った人は二重に楽しめただろう。
楽しかった。宴の後は、親友と大いに飲み、語り、愉快な一日でした。
酔拳
2003年7月14日自転車で夜道を走っていた時、
暗がりの中から、おっさんが俺の乗る自転車の方に、大きく一歩踏み込んできた。
正直、かなりびびりました。
通り魔という奴かと。
なんのことはないただの千鳥足の酔っ払いだったんだけど。
通り魔に襲われた人達というのは、恐らく絶対に自分が襲われる訳がないとタカをくくって生活していたと思う。
俺もそのクチだ。
危険なんてコソボの地雷地帯並にそこらじゅうに転がっているもんで、平和ボケした俺らはそれを忘れているだけなんだろう。
自転車盗まれたり、MDウォークマン盗まれたりしている弟の話を最近よく聞くので東京という大都市が隠し持つ危険性に少々敏感になってしまいました。
早稲田大学の「スーパーフリー」というサークルはテポドンクラスやけどな。サークルのラウンジに和田容疑者の肖像画が飾ってあったりして。
近きを遠く感じ、遠きを近くに感じる
2003年7月11日入社した一年前はまるで昨日のようだ。
あっという間に過ぎた一年に思える。
しかし、座禅修行で寺に篭もったゴールデンウィークはまるで何年も前の出来事のようだ。
種田山頭火になった気分で句(自由律)を読むと
”近きを遠く、遠きを近く、掴めざる雲の如し”(東京@野武士作)って感じかな。
日々の繰り返しの中の出来事、
惰性の中で生きていると人生は希薄なものとなり、
挑戦・冒険の中で生きていると
人生は濃密なものになるということか。
昨日が遠くにあるような生き方をしたい。
近くに何もなくていいから。
援助交際
2003年7月10日随分古いネタ引っ張り出してきたなと思ったでしょ?一時期のマスコミに過剰に取り上げられた頃よりほとんど報道されない今こそ、冷静に考えられると思って。俺の場合は、当事者に云々言うのではなく、援助交際が無くならないという状況から薀蓄を語ります。
辞書には
援助交際:女子学生などが男性と性交渉をもち,金品の提供をうけること。
とある。つまり、お金で人を買う(SEXをする)という行為のことやな。
それについて倫理上問題があると大人達はいう。
でも、株式会社という組織をバックにつけた大人達はSEXではないが、お金で人を買うという行為を毎日のように平気で行なっている。
SE費用というのはその典型だ。
SE費用はシステム開発に対して払われるものではなく、SEという人に対して払う対価であるのが一般的な考え方だ。
そんな大人達を見ていたら、
子供もやっちゃうよ。
えらそなーことを言うサラリーマンよ、
まず、人を商品と考えることを、人の能力を数量化するのをやめなさい。
ほら、子供達が真似してるだろ。
次に
援助交際はだめだから、娘がやらないように無償で娘にお金をばらまく馬鹿親父はもっとだめ。
援助交際の根源であるお金のやりとりを肯定してしまっているから。お金というものの価値を分からない人間が育つよ。
何の解決にもなっとらん!
「バトル鉛筆」でも言ったけど、
子供達が間違った方向に向かっているとしたら、
それはやっぱり大人の責任なんです。
”最近、若い奴らは×××××”なんてセリフ吐く腐った大人達が物事狂わしている元凶だろうね。
以上、薀蓄終わり。
バトル鉛筆
2003年7月9日とある文具店の前を通り過ぎようとすると
「バトル鉛筆入荷致しました」という張り紙が。
バトル鉛筆?
何、犯る気か?
サバイバルナイフに似た響きをもつバトル鉛筆なるものが如何なるものかに俺はもうもう興味津々。
仕事をそっちのけで
目的のバトル鉛筆をめざして、いざ文具店に直行。
しかし、店内の鉛筆コーナーをいくら物色しても
バトル鉛筆らしきものは見つからない。
だが、このまま引き下がる訳にはいかない。
正体を突き止めてやると妙な使命感に燃える。
さすがに23歳になってバトル鉛筆なる明らかに子供向けと思われる文具を使っているイタイ奴と思われるのを恐れて、あくまで子供の鉛筆を探しているお父さんの振りをして意を決して店員に尋ねる。
アムロ、いきま〜す!!
「すいません、バトル鉛筆(強調)ってありますか?」
「はい、こちらに」
意外とあっさりいくもんです。
ふ〜、どうやらイタイ奴とは思われなかったようだ。
危機一髪。
そこには子供を虜にするバトル鉛筆なるものがあった。
バトル鉛筆は凶器ではなく、六角形の形をし、一つの平面ごとにダメージ○○ポイントとか書いてあるさいころ鉛筆だった。
そーいや、俺も小学生の頃ドラゴンクエストのそういう鉛筆もってたな。休み時間によくそれで遊び、白熱した記憶がある。
あれが、バトル鉛筆だったのか?
時代が変われども、基本的に子供は変わらない。
変わるのは俺ら大人なんだ。子供達が荒廃していくのは子供じゃなく、大人の責任。バトル鉛筆を握り締め、そんなことを思いました。
国の借金668兆円に=国民1人当たり525万円−財務省
2003年7月8日「財務省は25日、国債や借入金などを合計した「国の借金」の総額が2002年度末で668兆7605億円となったと発表した。前年度末に比べ10.1%、61兆4483億円増え、過去最大を更新した。生まれたばかりの赤ちゃんも含め、国民1人当たり525万円の借金を負った計算になる。」 (時事通信)
2003/6/25(水)の記事。
やばいんじゃないの?
生まれたばかりの赤ん坊にまで借金押し付けるような国って。
単純に個人レベルで考えると、返済可否ギリギリの額やで525万円。四人家族なら約2,000万。無理っしょ。
国家を個人レベルで捉えることが出来る天才が登場するか、究極のデフレが発生し、その後のインフレで返済するしか方法ないんじゃない?
もう国家は借金踏み倒すしか考えてない気がする。
そもそもなんでこんなことになったのか?
それはやはり資本主義のせいだと俺は考える。
基本的に株式会社(=資本主義)ってお金を借りるってことから始まる。それに利子をつけて返さなきゃ、次回からはお金は借りれない。だから、必死で儲けて(時には人を騙し)利子をつけて銀行等にお金を返す。
しかしさ、お金の量はある程度一定なんだから、
儲けている奴がいれば、損をしている奴がいるはず。
矛盾している。皆が皆、返せるはずがない。
ちょっと考えれば、小学生でも分かることなのに
大人達は自分さえ儲かればええという安易な自己本位に走った結果がこれだ。
国の借金668兆円。
借りた金は増やして返さねばならない。
返せなきゃ、待っているのは社会不適合者という烙印だ。
その実アコムや武富士のCMをバンバン垂れ流し、
まるで借金は正しいかのように洗脳する。
それに、アコムの”欲しいものは今すぐ買え”的なCMはどうかと思う。
なぜなら俺はローンたるものが大嫌いでもし、将来家を持つことになっても現金一括で買ってやると本気で思っている。
話を国家レベルに戻すと、
まず、民間のツケを国が負っている。
また、国も利子つけて返せるほど儲けれちゃいない。
というか無駄遣いしまくり。
よって、借金668兆円。
成長もしくは敗者が存在しなければ、生き残れない今のシステムのままじゃ、一生借金漬けだろう。
だって誰も負けたくないもん。
成長だって止まる時だってある。
成長や勝負を否定している訳ではないが、
結果を求めるスパンが短くなり過ぎているんじゃないかな。
4半期決算だとか。
たった3ヶ月で結果を求められる。
アメリカの大統領だって4年間猶予期間があるのにだ。
今の社会にはもうちょっい長い目で物事を見守れる余裕が必要だ。
まずはそんな意識から変えていこう!
それに、じゃんけんで負けた奴に全員のランドセルを持たせるようなシステムもね。
2003/6/25(水)の記事。
やばいんじゃないの?
生まれたばかりの赤ん坊にまで借金押し付けるような国って。
単純に個人レベルで考えると、返済可否ギリギリの額やで525万円。四人家族なら約2,000万。無理っしょ。
国家を個人レベルで捉えることが出来る天才が登場するか、究極のデフレが発生し、その後のインフレで返済するしか方法ないんじゃない?
もう国家は借金踏み倒すしか考えてない気がする。
そもそもなんでこんなことになったのか?
それはやはり資本主義のせいだと俺は考える。
基本的に株式会社(=資本主義)ってお金を借りるってことから始まる。それに利子をつけて返さなきゃ、次回からはお金は借りれない。だから、必死で儲けて(時には人を騙し)利子をつけて銀行等にお金を返す。
しかしさ、お金の量はある程度一定なんだから、
儲けている奴がいれば、損をしている奴がいるはず。
矛盾している。皆が皆、返せるはずがない。
ちょっと考えれば、小学生でも分かることなのに
大人達は自分さえ儲かればええという安易な自己本位に走った結果がこれだ。
国の借金668兆円。
借りた金は増やして返さねばならない。
返せなきゃ、待っているのは社会不適合者という烙印だ。
その実アコムや武富士のCMをバンバン垂れ流し、
まるで借金は正しいかのように洗脳する。
それに、アコムの”欲しいものは今すぐ買え”的なCMはどうかと思う。
なぜなら俺はローンたるものが大嫌いでもし、将来家を持つことになっても現金一括で買ってやると本気で思っている。
話を国家レベルに戻すと、
まず、民間のツケを国が負っている。
また、国も利子つけて返せるほど儲けれちゃいない。
というか無駄遣いしまくり。
よって、借金668兆円。
成長もしくは敗者が存在しなければ、生き残れない今のシステムのままじゃ、一生借金漬けだろう。
だって誰も負けたくないもん。
成長だって止まる時だってある。
成長や勝負を否定している訳ではないが、
結果を求めるスパンが短くなり過ぎているんじゃないかな。
4半期決算だとか。
たった3ヶ月で結果を求められる。
アメリカの大統領だって4年間猶予期間があるのにだ。
今の社会にはもうちょっい長い目で物事を見守れる余裕が必要だ。
まずはそんな意識から変えていこう!
それに、じゃんけんで負けた奴に全員のランドセルを持たせるようなシステムもね。
フレッシュマン
2003年7月7日じゅん×じゅんさん、マイマイ(22)さんに、想いよ届け!
うちの統括部にもついに新人が配属された。
つい先日まで自分が新人だったから、俺も含めて”新人なんて足ばかりひっぱっり、使い物にならんし、邪魔者以外何者でもないんちゃう。使い物になるのはせいぜい2,3年後だろう”
と考えていた。
例えば、将棋に新人を例えると”歩”だろう。
”歩”本人からしたら、一歩ずつ前にしか進めないし、周りに迷惑かけているなと引き目を感じているかもしれない。
しかし、確かに仕事は全然出来ないけど、
意外と周りの駒達は気持ちが引き締められ、
自分が新人の頃のむずがゆい感触を思い出し、
リフレッシュされる。
まさに新人はフレッシュマン!!
転職者が来ても、味わえない気分。
それを与えるフレッシュマン!!
最もシンプルな効果として職場を明るくすることが挙げられる。新人は仕事ができないからといって引け目を感じることはない。そこに存在するだけで周囲にいい影響を与えているんだよ。俺なんかは単純に後輩ができたことが嬉しかったし。
それに近い世代の人間にはええ刺激となる。
後輩だけには追い抜かれたくないから。
また、自分がスタート位置からどれだけ前に進んだかも客観的に測ることが出来る。
前に進んだ分だけ自信になる。
組織が機能するには”歩”も必要不可欠な駒に違いない。ということに気付いた。
それに、”歩”はひたすら前に進み続ければ、”金”に進化を遂げることが出来る。
とフレッシュでなくなった二年目の”歩”兵は考えるのです。
政治
2003年7月4日駅前の中規模の本屋にふらっと寄り、
政治の本を眺めてみようと思った。
すると、結構でかい本屋なのに政治コーナーには20冊くらいしか本がなかった。漫画の本は俺のアパートほどの面積を占有しているのにである。
これじゃあ、政治が腐敗するわな。
と最も身近に感じた出来事だった。
これくらい国民は政治に無関心になっている。
そりゃ、投票率悪いわな。
ベッカムの髪型なんかよりこっちの方が大事なんじゃない?
三田紀房新連載
2003年7月3日三田紀房が週刊誌「モーニング」で新連載を始めました。
一般的にはマイナーだけど、俺は三田紀房が書く漫画が大好きです。「クロカン」にしかり、「甲子園に行こう」にしかり、「スカウト誠四郎」にしかり。
こんなに野球と人間を見事に描写できた漫画は他にない。
”ドカベン”だとか”キャプテン”だとかなんかはもう糞だね。
基本的に野球しか書かないと思っていたけど、今回は受験漫画。
未開の領域だけに期待大です。
気になったら漫画喫茶へGO!
「クロカン」読んだら、10時間は帰って来れなくなるよ。
快楽中枢
2003年7月2日”松浦あやと情事を楽しむ”&”うんこをちびる”という夢を見た。
起床後すぐ、ほんとにちびってないか確かめたが、
なぜかその朝は、風俗で順番待ちしている時のドキドキ感のような心地よさに酔っていた。
肛門にはSEXの時に感じるエクスタシーに近い神経があるに違いないとその時確信した。
加藤家の謎
2003年7月1日「子どもの名前に「曽」OK 規則は不可、司法は容認」
”漢字の「曽」を使った子どもの名前の届けを不受理とされた札幌市厚別区の男性が、区長に受理するよう求めた家事審判の即時抗告審で、札幌高裁の山崎健二裁判長は22日までに、男性の申し立てを認めた札幌家裁決定を支持、区長側の抗告を棄却する決定をした。
「曽」は子どもの名前に使える文字を列挙した戸籍法施行規則に含まれておらず、厚別区はこれを不受理の理由にしていた。規則にない漢字の使用を認める高裁判断は初めてという。区側は最高裁に抗告する方針。
戸籍法は、子どもの名前には常用平易な文字を用いなければならないと規定。具体的な文字の範囲は、法務省が専門家の意見を聞くなどの手続きを経て、施行規則で定めた。
山崎裁判長は(1)「曽」の字は古くから用いられている(2)中曽根や曽我、曽野などの名字や、河川名の木曽川は広く国民に知られている(3)国内には「曽」の字を含む地名が300以上ある−などと指摘した。(共同通信)”
こんなニュース見つけました。
うちのじーさん、もろ名前に「曽」が使われているんすけど・・・。
「加藤”曽”一」って。
どーいうこと?
じーさん、国家に喧嘩売ってんのか?
それとも、国家に認知されていないのか?
向井秀徳(元NUMBERGIRL)+PANIC SMILE
2003年6月30日@CLUB QUATOROのライブに行ってきました。
俺がライブのために会社を休むのは社内でも普通に認知されつつあります。
向井秀徳(元NUMBERGIRL)の登場の前に前座があったが、俺の口から語るに及ばず。
向井から言わせると、
「日暮愛葉」→化粧濃すぎ
「54−71」→ギャグコミック
だそうです。的確かつおもろい。
それはさておき、
向井秀徳のライブ。
NUMBERGIRL時代には考えられない事態が発生した。
観客が前のめりではなく、横に揺れ、リズムに乗っているのだ。ライブ系のノリからちょっとしたクラブ系のノリに変化していたのだ。
悪くはない。
向井秀徳という漢はNUMBERGIRLという小さな枠の中に収容することはできなかったんだ。
と腑に落ちた。
その時まで、なんでNUMBERGIRLという大きな夢を見せれるバンドを解散するのかがちょっと俺には分からなかった。
でも納得した。
俺の中にも、音楽だけでもPOPS・ROCK・テクノ・JAZZ・DANCEMUSIC・PUNKと一つに絞りきれないジャンルで好きなものがある。NUMBERGIRLじゃ、NUMBERGIRLの向井しか表現できないことが歯痒かったんだろう。だから、クラブ系のノリしたこんなバンドを作ったんだろう。その他にも、二つほどバンドを結成しているから少なくともあと二つの向井を見られると思うともう二度とNUMBERGIRLを観れないことを差し引いても楽しみである。
それに、あの独特の語りは健在でした。
”世の中の掃き溜めから這い出てきた野郎どもが集まっております”
”肉体教師の変態授業”
”座敷で犯した過ち2万5千発”
”ピンクティヴィ”(TVではなく、ティヴィ)
など向井独特の世界観、ファンなら堪りません。
見た目は完全な若くしておっさんなイタイ人なんやけどな。
向井ワールドに酔いしれた馬鹿野郎共の楽しい宴でした。
参考までに
持ち歌が少なくて、アンコールはなしで、
今後はZAZENBOYSの活動を優先させる為、当分の間向井秀徳+PANIC SMILE活動は
休止するようです。
何故星がかように輝くのか知ってるかい?
2003年6月27日夜空を仰げば、目にする星々。
その星の輝きに人々はロマン・自然の雄大さを感じ、癒され、感傷的になる。
俺の好きなバンプオブチキンも「天体観測」という歌で星を見ながら今を一生懸命生きる決意を述べている。星は我々に黙って何かを教えてくれる。
では、何故星がかように輝くのか知ってるかい?
我々の目に映る星というのは何億光年もはるか遠くにある星の輝きにすぎない。目に映るその場所には、実際星は存在しない。
我々が目にしているのははるか遠くにあるその星が何百年・何十年前に発した光である。(その光が我々の目に見える場所に到達するのにそれくらいの年月が必要なのである)
【ここからは我論】
つまり、我々は星に過去を見ているのである。だから、星にロマンを感じたり、感傷的になったりするのである。
俺は星を見て、何かを感じる人間と付き合っていきたい。星を見ても不感症な人間より。星をみて何かを感じられる・星の輝きを受け止めれる人間というのは自分の過去に輝きを見出せる人間だから。
だが、過去を懐古するのは
星を見る時だけでいい。
それ以外の時は、ガムシャラに突っ走ればいい。
そしたら、もっと星は輝く。
もっときれいな星を見れる。
ガソリンが切れた時、
自分を見失いそうになった時、
生きる意味が分からなくなった時、
そっと星を見ればいい。
そしたら、星は俺らを包み込んでくれる。
俺は何者かを教えてくれる。
今日はビール片手に夜空をながめ、
眠ることにしよう。
ツーベンっすか?
2003年6月26日職場の同期とちょっとした食事会を催した。
その時、車が欲しいという話になって、何乗ってるのと聞くと、
ヒントは外国。
アウディ?GM?
ちょっとランクの低い外国車を思い浮かべたが不正解!
さらにヒントはドイツ。
ん、ん?
ビーエム?
違う。
ひっとしてツーベンっすか?
ピンポン。
その子は全然悪びれた感じもなくごくごく普通にそんなことを言っていた。よく見ると、手には高そうな腕時計。バッグはヴィトン。
なるほど、そういうこと。
自転車すら買えない弟が不憫です。
es
2003年6月25日というあるドイツ映画を見ました。
この映画は1970年代にアメリカで実際に行なわれた心理学実験をモチーフにし、人間の潜在的欲求を描いたものです。アメリカでは裁判中で上映できない曰くつきの一品。
以下レビュー。
権力が人間を豹変させてしまう。
権力というものは弱い者が手にすると、恐ろしいものになる。もっとタチが悪いのは権力を濫用しているものではなく、権力を与えているもの。
その人は加害者意識はない。
権力なんて所詮イメージに過ぎないのに、人間はイメージに支配されて生きているんだろうね。ヒキガエルのように。
権力・立場・地位・制服。
それらが持つ社会的な利便性の裏は、支配欲でべっとりと塗り固められている。
強いと偉いは似て非なるもの。
強くはなりたいが、偉くはなりたくないもんです。
俺は秀逸な映画に出会うと、夢遊病者のようにふらふらと魂の抜けたまま外を徘徊してしまうことがあるが、今回もそう。夜の中野を一人テンション高めで徘徊してました。前回夢遊病になったのは渋谷で「リリィ・シュシュのすべて」を観た時で、その時は、どう家まで帰ったのかあまり覚えていない。
俺が見た映画の中で人間の意識下の本能が剥き出しで再現されているのは「CUBE」と「es」くらい。
絶対に見て下さい!これも人間の一面です。
スロー
2003年6月24日風邪のせいでというか、おかげというか動きが封じられた。
ここ2,3日、かなり動きが鈍くなった。
そのおかげで、(やっぱりおかげかな)何気ない日々の所作のプロセスがはっきりと浮かび上がった。
タバコ一本吸うのも、当たり前のことなんだけど、
タバコを取り出し、タバコを口にくわえ、ライターを点火し、その火をタバコに近づけるというかなり多くのプロセスを要していることに気付いた。スローに吸ったたばこはおいしかった。
プロセスを確認するということはプロセスを楽しむということに繋がり、それは一瞬一瞬を無駄にせずに生きることになるんではないか?
そのことに気づくと共にすれ違う人々がいかに急いで生きているかに気付いた。自分もちょっと前まではそのスピードで生きていたのに。そのスピードを失うと、今までのスピードが異常に思えてきた。
何をそんなに急ぐの?
電車一本遅れたくらいで何度も時計を眺め、
扉の閉まりかけたエレベーターに駆け込む。
そんなに急いでそこに何があるの?
もっとスローに生きてみようよ、
そしたらイマという舞台で輝けるかもよ。
そんなに急いでちゃスポットライトを照らす方も大変だろ?
あなたのスポットライトはちゃんとあなたを照らしてますか?
数取団(ブッコミとかけて)
2003年6月22日ここ数日間、死んでました。
夏風邪というやつです。
39度付近の高熱で朦朧とし、
扁桃腺が膨張し、なぜか膿んでらしく、
つばを飲み込むのも一苦労で、
ほとんど飲まず、食わずの寝たきり状態でした。
ほっておけば直るというスタンスの俺は
パブロンと水道水のうがいで
風邪をちらしているつもりだったが、
さすがにやばいと思い、
医者に行くと、医者もびっくりの状態でした。
よくここまで来れたなっていう。
一時間半ほどの点滴と
座薬(ケツに差し込むやつ)と
イソジンと
処方してもらった数種類の薬の
おかげでなんとか
社会復帰できました。
まあ、ケツに薬ぶっさした時点で
もう風邪に勝ったも同然です。
俺の勝ちです。
誰にも見られているわけでもないが、
あの恥ずかしさは並大抵ではないです。
そんな訳でカムバックしたのでよろしくお願いします。