スペシャリストというものについて友人と大激論を交わした。

俺はスペシャリスト反対派
友人はスペシャリスト賛成派


俺はスペシャリストというものは
特異なものを除いて歯車に過ぎないと主張。
10の力があったら、まず平均値を5程度にし、
そのうちの一つの能力を7にすればいい。

友人はスペシャリストだから独立できる。
逆に歯車にならないと主張。
極論として10の力があったら、一つの能力を10にして、
あとは1でもいいと言う。


平均値とは社会の共通認識を得ることであるから必須であると思うが、
百歩譲って、一つの能力だけを伸ばすことにする。
それは、弁護士や医師などに限ってある程度通じるだろう。
現にそういう人は多々いる。
しかし、今では漁師や豆腐屋や鍛冶屋だとかは
スペシャリストでは生き残れなくなっている。
いくら、沢山の魚を釣ろうが、おいしい豆腐を作ろうが
それだけでは生きられない。

スペシャリスト理論が成り立つのは第三次産業だけじゃないかな?
だから、ビジネス雑誌とかをやたらと賑わしているんじゃないかな?


今、”個性”だとか”スペシャリスト”だとか”出る杭は伸ばす”
なんて言われて、結構の数の若者が洗脳されているが、
人間なんて、一人一人が全く違う生き物なんだから
それが個性だと思う。
隣の人の顔を見てごらん、ほらあなたと全然違うでしょ。
個性なんてものは、他人との共通認識を追及する過程で
「あれっ、どうもこの能力は他人より優れているようだ」
という発見を通して、気付くものであるべきなのに、
小学校や中学生の頃から
頭から個性を伸ばせなどと教育するのは間違っていると思う。
何が個性かも分からないまま、
ひどく視野の狭い人間が出来上がるだけだろう。
スペシャリストいわゆるオタクは他人にりっぱに説明できない。
なぜなら、共通認識に欠けるからである。
他人によくわかるオタクとはスペシャリティは10あるが、
他の能力も平均値近くある人間なのである。
 
結局、人間は一人じゃ幸福も得られないし、
生きていけない生き物なのだから、
個性を伸ばせとか、スペシャリストとはやしたてるのではなく、
まずは、他人の気持ちを理解することから始めるべきである。
そして、その結果、どうやら自分はこういう能力が
人より優れているようだから
自分のこういう能力を通じて社会に貢献したいと思うのが自然じゃないかな?
 
 
ゴンシ殿、俺の言いたいことはそういうことです。

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