ANGRY FIST
2003年9月15日2年前俺がインドに行った時、
俺は絶えず怒っていた。
インド人が俺ら日本人からあらゆる手段を
講じて金を騙しとろうとしているからだ。
日本人から金を取るのではなく、
貧困を生み出しているインド政府に対して
もっとエネルギーを向けるべきだ。
と当時は考えていた。
しかし、インド人が金を騙し取ろうとするのは
当然のことであった。
あれから、2年経ってやっと気付いた。
そもそもインドには定価という概念がほとんどない。
それはなぜかというと定価という概念は
キリスト教から生まれたものだから。
簡単に説明すると、”隣人愛”という教義から生まれた。
商品やサービスという商売を通して
隣人愛の実践が行なわれているのである。
しかるべき適正な正価で商品やサービスを提供する。
高すぎてもだめ、安すぎてもだめ。
そうした貨幣獲得方法は他者もハッピーにし、
自分もハッピーだからキリスト教的には
オッケーなのである。
まさに隣人愛という訳である。
もう一度言うが、そうした理由で
定価という概念はキリスト教から生まれた。
インドはもちろんヒンズー教だから
キリスト教の下地はない。
だから、獲れる奴から獲ろうという発想が生まれるのである。
俺達の常識は通用しない世界もある。
というか資本主義のルールなんて
世界でまだ一部の人達しか共有できていない。
そんなことが分かってくるとインドが
もうちょっと好きになり、
イラクの気持ちも理解できる気がする。
次インド行くときはもう怒らない。
でも、闘う!!
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