携帯電話について橋本治が著書「さらにあーでもなく、こうでもなく」において興味深いこと言っていたので以下に記します。

基本的に全く同感です。考える始点は同じなんだけど終点が俺より遥か先まで伸びている、そんな感じです。


以下がその文章。


「IT革命」の号令下で、携帯電話は千変万化の変貌を実現させているが、しかし、なんだってそんなにも携帯電話を持ち歩かなければならないのか?
携帯電話を持ち歩いているということは、いつでも、どこかから情報が入って来ることを期待してのことである。いつでも、自分のいる現実を抜け出して、別のものとコンタクトを取り得る可能性を持続させているということである。誰もそんなことはいわないが、そんなに自分が現在存在している場所に適合することが嫌いなんだろうか?

誰かと話している。そこに携帯電話が鳴る。「そこで話を中断されたら、話し相手に対して失礼だ」という発想はないのだろうか?

道を歩いている時は、道を歩いていることに集中していたい。しかし、そこで携帯電話の電源をONにしておくということは、「どっかから電話がかかってこないかなー」とおもって道を歩くことである。

携帯電話は、自分が現在存在している現実に対しての適応力を、半分以下に削ぐものである。
これは、「社会生活に適応しなくていい」と言っているようなものである。「現在自分が直面している現実はあまり大事ではない」という認識があればこそ、携帯電話はONになる。これは、実の所、社会生活不適応者になることを容認する道具なのである。
こういうものを「IT革命促進のために」として、国家が持ち上げちゃっていいんだろうか?
「世の中を、それほど軽いものにしちゃっていいの?」というのが、私の携帯電話に対して持つ、最大の疑問である。

「便利」はいいが、その「便利」は、肝心の社会生活の意味を無にしてしまうようなものでもあるはずなのだが---

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