終焉

2004年1月24日

ここに、DiaryNoteにおける東京@野武士の歴史を終焉する。

2004.1.24
 
 
 
 
 
 
長らくの間、このだいありでいろんなことを吐露し、
色んな人との交流もでき、
突然の解散宣言で申し訳ないと思っております。
今後はリュニューアルしたMYホームページ(http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/3737/)で
東京@野武士の日々を綴っていこうと思っております。
そちらの方にも足を運んでいただけたら幸いです。


ありがとうございました。

年末年始

2003年12月28日

25〜28日は東北の方へ旅行してました。

数回死にかけました。


29日〜1月4日までは実家にいますので、
だいありはしばらく休みとします。


改めて、また報告することとします。
皆さん、よいお年を!!

森高千里のクリスマスソングが心に染み渡ります。
そんな私がみたクリスマスの一風景を報告します。


それは事務所のエレベーターの出来事でした。

エレベーターのドアが開くと、
絡み合う男女の姿。


何やってんだよ、昼間っから!!!


しかも、なぜか女性は看護婦の格好をしている。
明らかにおかしい。
このエレベーターが止まるフロア−に病院もしくは医院はない。


昼間っからチュチュやるだけじゃ飽き足らず、
白昼堂々、コスプレかよっ!!!


しかも、俺が乗り込むとわざとらしく、
目は大丈夫ですか〜と
看護婦の振る舞いをしている。


俺の目の方が大丈夫じゃありません!!!


こういうのはAVとテレビだけにしてくれよと
一人でクリスマスを過ごさざるを得ない24歳は
閉じるボタンを連打しながら思った。


だいありで私の書いた内容が間違っていると、
教えてくれる人があります。
私にとってとてもありがたいことです。
勉強にもなり、より理解を深めることになります。
ありがとうございます。

売上というものについてという11/26付けのだいありもそうでした。

そこで、ちょっと修正しておきたいと思います。


現会計制度ではそういうグループ会社内での二重帳簿は
厳重に罰せられるのです。
完全にはなくなったとは言えないようですが・・・

俺は会社というレンズを通して、
そのことに疑問を抱いたのであって
帳簿を見たわけでないので誤解が生じたようだ。


こういった主観によって生じる誤解が多々あるので
皆さんからの客観は大変有り難いのです。

そもそもこのだいありを書く動機のかなりの部分が
なにかが引っかかり、その引っかかりを整理することにある。
(残りの部分は、アホの心を忘れない為)
また、その引っかかりを他人と共有することで
解く鍵となればこれ以上にないことである。


HPの掲示板でも結構なんでどんどん指摘して頂ければ嬉しいです。

スペシャリストというものについて友人と大激論を交わした。

俺はスペシャリスト反対派
友人はスペシャリスト賛成派


俺はスペシャリストというものは
特異なものを除いて歯車に過ぎないと主張。
10の力があったら、まず平均値を5程度にし、
そのうちの一つの能力を7にすればいい。

友人はスペシャリストだから独立できる。
逆に歯車にならないと主張。
極論として10の力があったら、一つの能力を10にして、
あとは1でもいいと言う。


平均値とは社会の共通認識を得ることであるから必須であると思うが、
百歩譲って、一つの能力だけを伸ばすことにする。
それは、弁護士や医師などに限ってある程度通じるだろう。
現にそういう人は多々いる。
しかし、今では漁師や豆腐屋や鍛冶屋だとかは
スペシャリストでは生き残れなくなっている。
いくら、沢山の魚を釣ろうが、おいしい豆腐を作ろうが
それだけでは生きられない。

スペシャリスト理論が成り立つのは第三次産業だけじゃないかな?
だから、ビジネス雑誌とかをやたらと賑わしているんじゃないかな?


今、”個性”だとか”スペシャリスト”だとか”出る杭は伸ばす”
なんて言われて、結構の数の若者が洗脳されているが、
人間なんて、一人一人が全く違う生き物なんだから
それが個性だと思う。
隣の人の顔を見てごらん、ほらあなたと全然違うでしょ。
個性なんてものは、他人との共通認識を追及する過程で
「あれっ、どうもこの能力は他人より優れているようだ」
という発見を通して、気付くものであるべきなのに、
小学校や中学生の頃から
頭から個性を伸ばせなどと教育するのは間違っていると思う。
何が個性かも分からないまま、
ひどく視野の狭い人間が出来上がるだけだろう。
スペシャリストいわゆるオタクは他人にりっぱに説明できない。
なぜなら、共通認識に欠けるからである。
他人によくわかるオタクとはスペシャリティは10あるが、
他の能力も平均値近くある人間なのである。
 
結局、人間は一人じゃ幸福も得られないし、
生きていけない生き物なのだから、
個性を伸ばせとか、スペシャリストとはやしたてるのではなく、
まずは、他人の気持ちを理解することから始めるべきである。
そして、その結果、どうやら自分はこういう能力が
人より優れているようだから
自分のこういう能力を通じて社会に貢献したいと思うのが自然じゃないかな?
 
 
ゴンシ殿、俺の言いたいことはそういうことです。


12/18のだいありに関連した映画を見たので
その感想文を書いてみます。


大概の日本人にとって東条英機は悪者だろう。
日本の軍国主義先導し、戦争を引き起こした張本人だと。
しかし、あの戦争は起きるべきして起きた。
もし戦争がなかったら欧米諸国は植民地政策を推し進め、
亜細亜の発展はあと半世紀は遅れていたと思う。

ま、そのへんの話は置いておいて
この映画は東京裁判の真実を映した貴重なフィルムである。
戦争に勝った者が正しいのではなく、強いから勝っただけ。
そして、東京裁判というものは
”戦勝国は正しい”という論理の押し付けであった。
間違った認識を植え付けられている日本人にみせてやりたい。
そこには日本人が日本人たるべきために必要なスピリッツがあるから。



この映画の主人公は東条英機である。
彼は戦争責任を追及された時、
多くの同胞を死なせてしまったことに苦悩しながらも
”私は正しいことをした”と毅然と言い放った。
そこに、漢を見た。
あれこそ真の強さである。
気概のみで震えた映画は初めてかもしれない。


映画の最後、東条英機は裁判官に
「DEATH BY HANGING」と告げられ、
12/23皇太子の誕生日に絞首刑。
それは戦前日本人が信じてきたものをすべて打ち砕くのに十分過ぎる一言だった。
1948年12月23日。
日本人のプライドは闇に葬り去られた。



恐ろしいですね。
戦後東条英機等日本の軍人を裁いた東京裁判と同じ蛮行だけは
繰り返さないでほしい。

9.11テロをパールハーバーになぞらえているくらいだから
同じことをしそうで気が気でない。



アメリカに臨むことは
最低限、裁判官はアメリカ側の人間だけでなく、
中立な立場の人間も選んでくださいということ。
CDを買ったのは約1年ぶりのことだった。


楽曲が持つ良さのため、心が潤っているのか
座禅修行した後、飯を食った時のように禁欲から解き放たれたため
心が潤っているのか、どちらかわからなかった。


とにかく、映画「幸福の鐘」を見終わり、
ヘッドフォンから流れるCDの音は心地よかった。


渋谷の人込みをスーパーマリオのスター状態で闊歩した。
なんだろう?この無敵感は?

今まで見えていなかった”もの”が見えた時、
今までの自分に無かった”もの”を手に入れた時、
いつもこうなる。

そして、その”もの”とは決して形あるものではなく、
目に見えるものではなく、
自分の内面にしか存在しないもの。



2003年12月1日、俺は無敵だった。

MR.なCHILDREN

2003年12月16日

テレビで久しぶりにMR.CHILDRENを見た。

桜井さんが倒れた時、
しかもそれが彼の声を奪ってしまうような重病であると知った時、
”唯一無二の類まれなるその才能を奪わないでやってくれ”
と願った。
その願いが通じたのかどうかは分からないが、
嬉しいことに復調した。



そのMR.CHILDRENが出演した「HEY!×3」で
これまた久しぶりに”tomorrow never knows”が歌われた。
その歌詞の中に
”人は忘れていく生き物だから〜♪”
というフレーズがあった。


このだいありを書いていると
人からなんで書いているのと聞かれるが、
誰かに認めて貰いたくてしているのではなく、
(誰かに訴えたい・伝えたいという気持ちはある)
多少文章力を向上したいという想いも混じっているが、
それは今の俺を忘れないように
俺の足跡を残しておきたいからである。

そのときどきに書いたものは、そのときの自分を反映している。
だから読み直してみると、過去の自分に出会って、
自分でビックリすることもある。
今の自分にはない考えもあり、
ほんとに俺が書いたのかと赤面することもある。
人は忘れていく生き物だということを痛感する。


俺もMR.なCHILDRENで在り続けたい。



この映画は簡単に言うと、
工場閉鎖に伴いリストラされた五十嵐という人間の話。


もうちょっと詳しく言うと
主人公がリストラされたその足で当てもなく歩いていると
たまたまヤクザが目の前で死に、
刑務所に入れられ、
釈放されると交通事故にあい、
入院中に幽霊に出会い、
宝くじが当たって、
そのお金をかっぱらわれ、
リストラされて自殺するサラリーマンと
癌を告知され途方に暮れるサラリーマンに出会う
という過程を通して、幸福とは何かを考える映画。

いわゆる”青い鳥現代版”。
幸せを求めて彷徨うが結局幸せは自分の足元にある。


従来のSABU映画とは一味違う、
しかし、従来のSABUらしさもある一品。


オススメです。


見終わった後、俺の幸せの鐘も足元でガンガン鳴り響いてました。



士農工商

士=武士
農=農民
工=工業
商=商人

現代版士農工商

士=政治家
農=サラリーマン
工=自営業者
商=投資家・経営者


という構図が出来上がっている気がしているのは
俺だけだろうか?

賞与

2003年12月12日
親父が賞与が大幅に減ったと嘆いていた。


ほとんどのサラリーマンがそんな状況だろう。


でも、年収が下がったからといって、
本当に貧しくなるのか?
逆に変に豊かになってしまった日本が変わるキッカケになるじゃないかな。
特になんでもかんでも親から過保護にされ、
過度に物質を買い与えられた若い世代にとって。
親も金で物事解決できなくなるからね。



ただ、日本には金持ちを羨む風土があるから、
超大金持ちを放置しておくと
年収が下がった者の怒りの矛先はそっちに向かうだろうから
そういうものにも税制面だとかで適切な処置を施しておけば
逆に年収が下がることは日本人にいい影響を与えるを与えると思う。
モノではない価値に気付くチャンスだ。

その都議会で打合せしていた議題だが、
俺の興味を引いたのはICカードと宝くじ。
 
 
?ICカード
どうやら東京都はICカードの導入に積極的らしい。
いわゆるJRのSUICAみたいなカード。
しかし、本当に必要かね?そんなもん。
税金つぎ込んでまでやることかね?
寝てないで、真剣に議論してもらいたい。

 
?宝くじ
宝くじについては発売限度額がある(約2300億)ことと
その収益が公園整備に回されていることを役人の報告から知った。
しかし、収益を公園整備に回すことは都民にとって本当に有益だろうか?
交通渋滞の解消だとか公園よりも他にやるべきことはないだろうか?
公共事業だからだろうか?
ガム噛んでないで真剣に考えてください。

  
とにかく、この腑抜けた現状をなんとかできない自分が不甲斐なかった。
何とかして一石を投じたいものだが、個人ではやはり弱すぎる。
個人が権力に立ち向かうには数がいる。
ということを一人で傍聴しながらひしひしと感じた。
 
 
戦い方を一つ覚えた。
 
 
 
 
 
次の社会見学は何をしよう?
いい案あれば教えて下さい。
採用者には豪華景品?




寝ている議員(森田副委員長)
ガムを噛んでいる議員(秋田委員)
あくびをする議員(青木委員・中村委員)

たった45分の会議で4人も脱落者がいた。
しかも出席している議員は10人しかいない状況で。

まともに発言していた議員は
松村理事、近藤委員長くらい。


ヒドイね。



ヒド過ぎるよ。



こんなことやってたら、官はだめといわれても仕方ない。
国民の代表として都に勤めている意識は完全に欠如していた。
何をやりたかったのか分からないけど、
何も決定しちゃいないし。


それに対して、今の俺ができる最大限のことは
このやる気の無い議員の名前をこの場で公開し、
二度と都政に送り込まないことだ。
よく覚えておいて欲しい。
上記4名の名を。
森田・秋田・青木・中村である。

時計の針はまだ13時15分付近を指している頃だった。


始まったと思ったら、もう終わりかよっ!!


”異議なし”という号令の元、
次々に後ろの席の人間が席を立つ。


   ○_○_○
  /     \
○|       |○
○|       |○
○|       |○
○|   _  |○
     ||
    ______ ______
    ______ ______
    ______ ______
   ______ ______
   ______ ______


図で言うと、下の部分(------)に位置する人達。

しかし、よく見ると、委員の方々は席を立とうしない。
(上の部分の○に陣取る人々)
そして、先程まで下の部分に座っていた所に
同じような格好をした人がなだれ込んできた。


どうやら、上の部分に陣取る人々が議員で
下の部分に座っている人が役人のようだ。
財政委員会とは財政について役人が議員に報告する場のようである。

下の部分に位置する人が入れ替わり、
新たな報告が始まったようである。

こんなことが三回ほど行なわれ、
結局13時45分には財政委員会は終了した。
形式的な儀式に近かった。予定調和の世界だった。


隣の文教委員会が定員をオーバーしているのに
財政委員会の傍聴券整理番号が一番だった時点で嫌な予感はしていた。


しかし、まさか一人とはね。


皆さん、お忙しいようで。
六本木ヒルズには行くけど、都議会を傍聴している時間はないんだ。
ディスニーランドでミッキーに会うのは楽しみだけど、
地域の代表者である議員は別に見たくもないんだ。
ふ〜ん。


普通は傍聴人がいることで
議会自体にいい緊張感が生まれるはずなのに、
逆に俺の方に緊張感が生まれちゃっているよ。

明らかに政治とは無縁そうな若者がその場にいることを
周りの人達は見て見ぬ振りをしている。
不信の目を向けられた山口君裁判の方がまだましだったよ。


定刻をオーバーをしても遅れてくる議員。
ダルダルな明らかに馴れ合いの雰囲気がプンプン漂う中、
財政委員会は開催された。


ホントは国会の傍聴がしたかったのだが、
衆議院はテロ以降、原則傍聴禁止だし、
参議院はその日、本議会が開催されていなかった。

そこで、石原都知事率いる都議会に照準を変更した。

2003年12月1日に傍聴できるのは、
文教委員会と財政委員会。
議会ではなく、委員会。
できれば、石原都知事を拝見したかったのだが、
委員会には都知事はいなかった。

教育に多大な関心を持つ俺には文教委員会も捨てがたかったが、
我々の税金がどのように使われているかをチェックするという意味では
財政委員会の方が近いと判断し、財政委員会を傍聴することにした。



傍聴人は俺一人だけだった・・・


前回の年休は裁判を傍聴した。
学ぶ所、考えさせる所が多い実りあるものだった。

そこで、今回の年休は
家庭裁判所で離婚調停でも傍聴しようと思ったが、
他人の生活を覗き見るただの悪趣味だろう。
そんな盗聴マニアもどきよりおもしろそうなものがあった。
 
 
 

それは、議会の傍聴。
 
 
 

我々の税金がどのように使われているか知るいい機会でもあるし、
生活に直結しておりおもしろそうだ。
 

社会見学シリーズ第二弾は都議会傍聴編となります。
 
 


誕生日にやることじゃないだろうというツッコミは無視します。

齢24

2003年12月1日

8760日かかってやっと分かった。
こんな当たり前のことがやっと分かった。
 
 
 
幸せは一人じゃ得られないってこと。
 
 
 
そりゃ、全く知らなかった訳じゃない。
でもよく忘れていた。
効率的・合理的な考えをしたり、
自分のことばっかり考えてたり、
夢ばかり見て、
そして、日々の忙しさに埋没することで。
 
 
全ての幸せの要素は自分じゃない誰か、
それは家族かもしれないし、世界の裏側にいる見知らぬ人かもしれない、
しかし、その誰かと繋がっている。
 
  
この24歳という日は、まさに
”朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり”
たとえ、明日命が果てようとも同じ時間を過ごしたであろう。
この上ない最上の一日であった。

変節

2003年11月27日
5/22付けのだいありで
コンサルティングファームというものを批判した。


それから俺の意見も変わってきた。
メーカーというものは物理的なものを使ってしか
顧客の問題解決ができないが、
コンサルは別に物理的なものを使わずにも
日々の行動・思考を変革することで
顧客の問題解決ができる。


それは、商品を売りつけるしか能がないメーカーより
人間的な解決方法である。


あめかぜさん、お仕事頑張って下さい!!
ご活躍心より期待しております。

1 2 3 4 5 6 7 >

 

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

日記内を検索